利用法注意 - 頑張る、お疲れ、普通は。


「頑張らないと暮らしていけない」という言説は「暮らしていけない人は頑張っていない」という烙印を押しているに過ぎません。事実、生活保護の受給申請をしようとしても働き口を探してください、と言われる、みんな頑張っているのだからあなたもそうしろと言われる。そうやって受給申請者の意思を無視して強引に受給拒否の申請書を書かせ、書いた人間が餓死しているんだ。(中略)
働かなければ食っていけないというのは嘘だ。頑張らなければ食っていけないというのも嘘だ。
そうした嘘がまかり通ってしまうのは弱者に対して「あなたの頑張りが足りないだけ、私たちは悪くない」と行政の馬鹿どもに正当性を担保させているだけに過ぎないのだ。
煩悩是道場 - 頑張ることと、生きていく権利と、お金を稼ぐことは全部異なる

最近、周りの人に対して「頑張れ。頑張って。」という言葉を使わないように気をつけている。その理由の一つを挙げてもらったように感じたのでメモ。極論もあるけど、「頑張るを前提にしない」という観点は激しく同意。

どうも日本という国は、「頑張って疲れる」ことを前提に色んな仕組みが回ってるような気がする。(「お疲れ様」も意識的に使わないようにしている言葉の一つ。もう一つは「普通は...」)それじゃ無理も来るよね、いずれ壊れる、というか。

現代の日本で、「働かざるもの食うべからず」を言うのは、金持ちの貧乏根性のような気がするなぁ。ただ、「水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる」だとすれば、一度楽することを覚えてしまった人たちに対して、そういった気持ちを持ってしまうのも、理解できない訳ではないような。そこんとこの判断って難しい。